小林ゴールドエッグ

ソムリエ日記SOMMELIER DIALY

エルビス・プレスリーとグリーンと官能の目玉焼きサンドイッチ

こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。

卵と偉人・有名人のエピソード第21弾

今回は、伝説のロックミュージシャン、エルビス・プレスリーと料理評論家ゲイル・グリーンさん。

この2人のロマンスと一つの目玉焼きサンドイッチが、ニューヨークをクールな食の街に変えた。そんなお話です。

プレスリーさんは言わずと知れたロックンロールの帝王、世界のレコード・CD総販売数は6億枚以上、「彼がいないとビートルズもマイケルジャクソンもいなかった」なんて言われるくらいスゴイ人。死後40年経っていますが「彼はまだ死んでいない」と信じているファンが今だ数十万人もいるのだとか。

ゲイル・グリーンさんは日本ではあまり知られていませんが、米国では超有名なレストラン評論家。「ニューヨークマガジン」という有名誌でずっと寄稿をされていまして、1968年・33歳でレストラン評論家に就任した当時ニューヨーカーのほとんどが食に詳しくなく、名前を知っているシェフもほとんどいなかった時代から40年間、ニューヨークとアメリカ食文化の高まりを発信し続け、多くの料理人さんにインスピレーションを与え続けた草分けの方です。

さて、

そんなグリーンさんは若い頃からとにかく思い立ったら即行動、情熱の人でして、二十歳ごろに2歳年上の大スター、エルビスプレスリーの大大大ファンになってしいます。

「何とかしてお近づきになりたいな。」

他のファンの子はコンサートでキャーキャー言ったり、テレビ局やラジオ局の出口待ちをする、なんて今も昔も変わらない行動を取っていたわけですが、彼女はちょっと違いました。

当時のグリーンさんは大学を出たばかりで就職活動中。

まず、プレスリーのプロデューサーだったパーカー氏に手紙を書きコンタクトを取ります。

「エルビスと一日一緒にすごして、それを記事にさせてください!」

例えるなら無職がAKBアイドルの独占取材を秋元康にお願いするようなもの。

うーん、すごい行動力ですね。

残念ながらそれはかなわず、プレスリー公式記者会見の招待状が返ってきて彼女は憤慨します。それでも充分凄いんじゃないでしょうかね…。

そして、全くへこたれることなく、

その後プレスリーの活動予定をすべて把握、

コンサート会場のセキュリティ体制を調べ上げ、

警備の担当者を懐柔し、

ステキなドレスを着てプレスリーと自然に出会える状況を画策、「私はあなたのものよ。」と艶のある黒髪を後ろに流しながらウィンクし、とうとうプレスリーさんの心を射止めお忍びで一夜を共にすることに成功します。

うーん、まるでルパン三世のヒロイン峰不二子ですね(笑)

さて、

情熱的なひとときを過ごした後

プレスリーがふと、目玉焼きサンドが食べたいと言ったのだそうです。

グリーンさん後年の回顧録によると、

『さよならのキスをしようかと思いながら財布を取っていると、エルビスが目を開けてまばたきをしました。彼は電話に向かって肩をひねり、ふと

「ルームサービスに電話して目玉焼きサンドを注文してくれないか?」

エルビスとどんな時間を過ごしたのかは覚えていません、でも、その目玉焼きサンドイッチは忘れたことはないのです。そう、トーテムポールみたいな目玉焼きサンド。その瞬間、私はレストラン評論家になるために生まれてきたのだと気づいたのです。』

と振り返っています。

つまり、グリーンさんがニューヨークを『カッコいい最先端の食の街』として知らしめる先駆的な「食通」になったきっかけが、この目玉焼きサンドだったのですね。

目玉焼きサンドイッチは米国では非常に人気で、いろんなダイナーやホテル、レストランで、それこそ高級なものから大衆的なものまで非常にバリエーションも多い玉子料理です。

グリーンさんの中で「神様」だったエルビス・プレスリーさんが目玉焼きサンドイッチを頼む姿を見て、彼もまた日常を持つ人間であり、またどんな人にも「食」はこだわりと幸せを運ぶ存在だと気づいたのかもしれません。

25年ほど前、僕はアメリカで貧乏旅行をしていた時にプレスリーの生まれ故郷メンフィスにあるプレスリー邸「グレースランド」を訪れた事があります。

邸宅の裏にプレスリーさんが眠る墓所があるのですが、死後二十数年経つのに供えられる花束が山のようでした。いやもう、ファンにとっての永遠の『神様』なんだな、という事がすごく伝わってきました。

そんな“神”ではなく「人としてのプレスリー」に興味を持てるきっかけが目玉焼きサンドだった……なかなか興味深いです。

この目玉焼きサンドが無ければ、

ゲイルさんは全米一のレストラン評論家になることはなく、

ニューヨークに77件もの星を持つほどの百花繚乱有名シェフのレストランが立ち並び、パリやフィレンツェと並ぶ「美食の街」になることも無かったのかもしれません。

ここまでお読みくださって、ありがとうございます。

(参照:“Insatiable” Gael Greene著)

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