小林ゴールドエッグ

ソムリエ日記 SOMMELIER DIALY

たまごの歴史・文学・文化学 記事一覧

こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。

『ニワトリが鳴いたら朝だよ』

が重要なキーになる物語が
世界中にあります。

今回は日本のお話し。


 

ダイダラボッチという巨人がいました。

富士山を見て

「めっちゃ美しいじゃないか。」

「こんな山があるなんて
羨ましい!」

・・と、思ったのです。

 

もっと美しい山、
もっと高い山を
一晩でつくってやるぞ!

と決意しまして、
すごい量の土を掘りだして
積み上げていきました。

 

ですが・・・

まだ作り途中で

夜明けになって
ニワトリが鳴いたのです。

その鳴き声を聞いた
ダイダラボッチ、

うう~・・・!

残念だが、
あきらめよう・・!

と最後の土を放り出して
逃げ出しました。

 

その作りかけの山が
榛名山で

あわてて放り出した土が
ひともっこ山

悔しくて泣いた涙が
榛名湖になったとさ

・・・というお話し。


以前にご紹介した
ドイツや中国の物語、
一晩で壁井戸をつくる伝説と
プロットが似てますね~。

・一晩で作ろうとする

・あと一工程で完成目前

・ニワトリが鳴いて断念

という点が同じです。

 

同じなんですが
日本の伝説版は

スケールが
めっちゃデカい
ですね!

 

なんでしょうね?
こんな大規模工事でも
『一晩』じゃないとダメなんですね。

 

超常なる力の行使は
一晩だけ

鶏が鳴く=朝まで

というのが
世界共通の認識のようです。

 

このお話しが載っている

「ものと人間の文化史49 鶏」によると、
日本の伝説には

大規模工事を一晩で始め
ニワトリが鳴いたから
もうちょっとで断念した

というお話が他にいくつもあります。

 

たとえば冨士山と
あまのじゃく。

『アマノジャク』
という巨人が
一晩で美しい冨士山を
くずしてやろう!!

・・・と考えました。

山の土を海へどんどん
放り投げまくります。

 

ですが、

富士山があまりにでっかすぎ

一部しか崩せないうちに
夜明けになり

ニワトリがあちこちで
鳴き始めた。

アマノジャクは
ニワトリの鳴き声を聞き
運びかけの土を放り投げて退散、

その土は
箱根山の「二子山」になり、

海へ捨てた土は
「伊豆の大島」になったとさ。

・・・という伝説。

 

ちなみに
最後の『ひと捨て』でできた山
ダイダラボッチ版「ひともっこ山」は
高さ1,140メートル、

アマノジャク版「箱根二子山」は
高さ1,099メートルですので

奇しくも
最後に捨てた土の量は
ほぼ同じくらいのよう。

 

スケール大きいなりに
なんとなく規格が決まっているようで
面白いです。

 

日本の伝説の巨人たち
“一作業工程”は
『やま1,100m分の土』。

 

名作漫画『進撃の巨人』には
岩を投げる巨人がでてきますが、
いったいどれくらいだったんでしょうね!?

 

◆鶏の声は魔を打ち払う説も

「朝がきた!」

きっかけとして
ニワトリの鳴き声が登場しますが、

じっさいは
正確な夜明け時間の知らせ

と別に、

ニワトリは
聖なる声で邪を払う

という思想があります。

古代ギリシャでは
ニワトリは「魔除け」でしたし、

中国や古代インドでも聖なるものでした。

 

日本でもニワトリは
『神の使い』として
神社と深いつながりが
あります。

そう考えると、
朝に魔が退散するのは

天変地異の被害から
あと一歩のところを
助けてくれる存在

としてニワトリを見ることも
できますね。

 

ここまでお読みくださって
ありがとうございます。

(参照:ものと人間の文化史「鶏」山口健児著)

(関連:うさぎとニワトリは神社つながり | たまごのソムリエ面白コラム

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学 2024年11月7日

こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。

『ニワトリが鳴いたら朝だよ』

がキーワードな物語って
世界中にあります。

今回は中国のお話しをご紹介。


周の仙王さんがあるとき王妃と約束をしました。

「オレは一晩で
百の井戸を掘る。

お前は百反の絹を織れ。」

その夜、夜明け前に
王妃は百反の絹を織りあげました。

「やったわ!」

「合図を出そうかしら。

そうね、鶏のまねしよっと。」

・・・と、
鶏鳴の鳴きまねをしたところ・・・

 

周囲の鶏がみなそれに和して
いっせいに鳴いたため、

 

井戸を掘っていた仙王は

「ええ!?
夜が明けたか・・・。」

ガクッ・・・!

と、99個の井戸を掘った時点で
止めちゃったのです。

 

これが、
今に残る“江西九十九井”の由来なんだとか。


・・・というお話し。

 

以前ドイツの「城壁を一晩で作る悪魔」
のお話しをご紹介しましたが、

「鶏の鳴き声で勘違いする」
「完成直前で断念し負けを認める」

という点はまったく同じですね。

 

なんでしょうね?

王様と王妃様は、
なんでそんなムチャ勝負を
はじめたんでしょうか!?

なんとなく
体育会系で脳筋な
イメージの王様な気がします。

ただ、
この物語でスゴイのは
むしろ奥様のほうですよね。

 

ちなみに百の織物というと
董永与織女」という
中国版七夕ストーリーが
有名なんですが、

こちらは身分を隠した天女が
10日間で百の反物を織って夫を助ける
というお話しです。

仙王の王妃さんは十日じゃなく

一晩で100反ですから

天の『織り姫』より
10倍速いわけです。とんでもないですね!

いわば
古代のパワーカップルでしょうか。

 

このお話しが載っている
「大清一統志」は、
300年前に国家事業で編纂された
“中国の歴史地理総まとめ大百科”で
360巻もあります。

 

日本の地図の根拠にもなっているためか、
なんと内閣府の国立公文書館アーカイブで
ぜんぶダウンロードできます

 

このお話の国、「周」は
3千年ほど前にはじまった王朝ですが、

そんな昔から
たくさんのニワトリが
人の住まい近くで飼われていた

というのが興味深いですね~。

ここまでお読みくださって
ありがとうございます。

(参照:ものと人間の文化史「鶏」山口健児著)

(参照:大清一統志)

(関連:『鶏は朝』という伝説 その①【ドイツ悪魔城編】 | たまごのソムリエ面白コラム

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学 2024年10月24日

こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。

 

『ニワトリが鳴いたら朝だよ』

これがテーマの“伝説”って
世界中にありまして、
めっちゃ面白いんです。

有名なところでは
聖書の「ペテロと3度鳴く鶏」の
エピソードですし、

日本でも
えびすさまだったり
ダイダラボッチだったり
鶏の朝鳴きがかかわるストーリーには
枚挙がありません。

その一つをお話しします。


<グライヒ山(ベルク)の悪魔城
と鶏伝説>

ドイツの真ん中あたり、
テューリンゲン州の南西部に

グライヒ山(グライヒベルク)という
山脈があります。

大グライヒ山、小グライヒ山に
分かれてまして、

その小グライヒ山にある古城の壁は

悪魔が一晩で建てた

という伝説があるんです。

 

この地方を治めていた領主には
とっても美しい娘がいました。

あるとき、領主が住む城が
攻め入られそうになったのですが、

その際に悪魔に

「一夜で堅牢な城にしたいんだ!

決して乗り越えられない3重の石壁を
朝までに城の周りに築いてくれたら、

大切な自慢の娘を
褒美にやろう。」

と約束したのです。

悪魔は2つ返事で引き受けました。

たちまち
無数の使役霊がどんどこ岩石を運び入れ
城壁が積みあがっていく・・・

この悪魔との約束を立ち聞きしていた
娘の乳母

「たいへんなことになったわ・・・」

と、内心あわてまして、
でも知らん顔で仕事をつづけました。

そして夜。夜中もすぎて
もうほとんど城の3重カベも完成間近なころ
乳母はそっと抜け出して

「今だわ!」

と、城のあちこちに置いた
干し草の山に火をつけました。

すると、
急にまわりが明るくなったので
鶏がみんな夜明けとかんちがいして

「コケコッコー!!!」

と鳴き始めたのです。

鶏鳴を聞いた悪魔は

「やや!もう朝か、しまった。」

とめっちゃあわてまして、
最後の要石にするつもりだった巨石を
投げ出して消えてしまいましたとさ。

 


・・・という伝説。

この玄武岩でできた3重の壁は
いまだ残っていまして、
1か所だけ巨石1個分が
空いたままになっているんだとか。

地元では「ヘレンマウアー(地獄の壁)」と
呼ばれていて、掘ってみても
地中深くから積まれているため

「こんなの悪魔じゃなきゃ
やっぱムリだよなあ。」

なんて言われているそう。

 

ちなみに伝承には
いくつかバリエーションがあって、

「攻め入りそうだったのは城主に
結婚を反対された娘の恋人の若い騎士。

悪魔が消える際に
人でなし城主の魂を連れ去ったので、

恋路をジャマするものもいなくなって
めでたしめでたし。」

 

「古城につながる階段を見つければ
莫大な財宝が手に入る。

そのカギは娘が好きだった白い花。」

なんてちょっと夢のあるおまけ伝承もあるようです。

 

◆鶏=時間という超メリットのある家畜

古代において、
毎朝夜明けの正確な時間に鳴いてくれる
ニワトリって、すんごく貴重だったんですね。

もっと生産性が高く
味も効率も良い鳥って
鶏のほかにいくつもいたんですが、

この「時を知らせる」という点が
圧倒的に勝っていたため、
それで家畜としての主流を獲得する
ことになったと言われます。

 

それこそ「朝になったら鳴く」
のみならず

「鳴くから朝になる」

なんて伝説もできるくらい・・。

 

◆モーニングにエピソードを絡めよう

お店でのモーニングでは
卵を使われることが多くありますよね。

 

たとえばメニューイングで
コショウを利かせた「悪魔風」
目玉焼きにして、

こういった
『ニワトリ朝鳴き伝説』
くっつけると、
単に美味しいだけじゃなくて
メニューに奥行きがでてきます!

ここまでお読みくださって
ありがとうございます。

(参照:ものと人間の文化史「鶏」山口健児著)
(参照:『ドイツ伝説集』ルートヴィヒ・ベルシュタイン編著・鈴木瞞訳)

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学 2024年10月14日

『巨人 大鵬 玉子焼き』

これ昭和の子供に大人気の3つ
なんですが、
なんで玉子焼きだったのでしょう?


こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。

 

ナショナルジオグラフィックの記事に

インドで
ハゲワシ生息数が減って
50万人の死者が出た

という疫学研究のお話がありました。

インドでは家畜として
世界一を飼っていますが、
多くの人は牛肉を食べません。

死んだ牛をハゲワシ
処理していたのですが、

→1990年代に導入された
ウシの抗炎症薬が
死んだ牛の体内に残っており、

→食べたハゲワシが大量死して
個体数が激減

→結果、牛がそのまま放置され
ライバルの野犬が激増して
狂犬病が増加、

多くの人の死につながった
のだそうです。

米国の報告によると
たった5年で
694億ドル(11兆5千億円)の被害と
50万人の死につながったそうで、
これは大変な事態です。

 

風が吹けば桶屋が儲かる
なんてことわざがありますが、
その逆バージョン、
意外な因果関係が
影響を及ぼすんですね~。

 

新たなテクノロジーが
次々と生まれる現代でも
こういったことは十分起こるでしょうし、

少なくとも影響を知った時点で
すぐに動く
すばやく改善する仕組みを
準備することが大事でしょうね。

 

さて本日は、
たまごの
意外な因果関係を
紹介してみます。

 

◆高度成長と玉子焼き

農林水産省発行
『和食―日本人の伝統的な食文化-』
によると、

 

日本人に玉子焼き
広く定着したのは近代以降、

昭和初期からの
『高度経済成長の影響』で
広まったためだとか。

なぜ景気が良くなると
玉子焼きが広まるのでしょう?

もともと
江戸時代や明治の初めごろは
たまごは超ぜいたく品でして、

食文化に定着こそしていましたが、
しょっちゅう食べるものでは
なかったのですね。
年に四十数個くらいでした。

それが、
1930年代からの70年間で
卵の一人当たり消費量は
年間330個超と
7.4倍になってます。

 

その中で
とくに伸びた「玉子焼き」
じつは

玉子焼きが広まったのは
『お弁当』のおかげ
なんです。

近代以降の
給与所得が増えた時期に
学校に進学する人が増え、

『お弁当持参の習慣』が
定着したのですね。

典型的なお弁当は
飯、のり、卵焼きまたは鮭など、
あと煮豆や佃煮など一品で、

いずれも
主食におかず+漬物など
で構成されているお弁当でした。

それまで少なかった
たまご食の『良質のタンパク質』
日常食に定着していったのですね。

 

また、
卵は常温でも保存できるため
家庭で常備しやすく、

玉子焼きは
・サッと作れる
・形成してお弁当に入れやすい
・栄養ばつぐん

と、お弁当のおかずとしての
メリットがめっちゃあります。
そこで玉子焼きが
大きく伸びたのですね~。

 

◆令和に伸びる料理は!?

じゃあ、
今後はどんな影響が?
と考えてみると

ひとつ面白いのが

「厚焼きたまごサンド」と
「から剥きゆでたまご」
の近年のヒット。

また後日くわしく書きますが、
これらが好まれているのは

片手で食べられるから

なんです。

 

忙しい令和の皆さんは
昼食で食べるなら
スマホを触りながら
食べたい!

昔ながらの玉子サンドや
殻付きゆでたまごでは
両手を使うので
スマホが見られない!

そんな
変遷が起こっています。

あなたのお店でも、
たまご料理にかぎらず

スマホ片手に食べやすい
料理はなんだろう?

なんて視点で
ちょっと変えてみる
必要があるかもしれませんね。

気づかないと
インドの狂犬病のように
知らないうちにお店に影響が…
なんてことがおこるかも!?

ここまでお読みくださって
ありがとうございます。

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学 2024年07月26日

たまごの歴史

日本は世界でも
ちょっと変わった
流れがあるのです。


こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。

NHK大河ドラマ「光る君へ」で
平安時代に脚光があたってますね。

 

主人公紫式部のライバル役
清少納言の武闘派エピソードも
載っている

『古事談』

という書物をごぞんじでしょうか?

 

「古事記ならわかるけど
しらんなぁ?」

そんな方が
多いかと思います。
現代ではあまり
知る人は多くいません。

 

1200年代初頭に
源顕房さんという方が編纂した

鎌倉初期の
天皇貴族僧侶の珍エピソードを
まとめた書籍でして、

全六巻。

 

じつは、
たまご屋にとっては
大事な意味を持つ本です。

 

それは、日本で

たのしんで
たまご料理を食べた
最古の記録が載っている

本だから。

 

古事談によると・・・

 


 

藤原惟成さんという
貴族がいました。

若いころ貧しい暮らしを
していたのですが、

あるとき花見の宴に
呼ばれます。

「宴に見合う
立派なお土産なんてない!
こまったな・・・。」

しかし!
惟成さんの奥さんは
とても秀でた才知を
持っていまして、

 

「これをご用意しました。
お持ちくださいませ。」

・・・と
準備したのが、

立派な長櫃にご飯と

一折のゆでたまご
そして塩

だったのです。

宴に来た者たちは
その豪快さに
歓声をあげておどろいたそうな。


・・・というエピソード。

古事談では

『花見の宴のおりに長櫃にご飯、
外居(ほかい)に「鶏子一折」
折櫃に塩一杯を持参した』

“而長櫃ニ飯二、外居鶏子一折、折櫃擣塩一杯納之”
となってまして、

 

この鶏子(とりこ)というのが
たまごのことですね。

卵を入れた
外居(ほかい)は
食べ物を運ぶ入れ物。

塩を一緒に
持っていってますから
「ゆでたまごだっただろう」
と推測されています。

 

わざわざ記録するくらい
ですから

ちょっとすごい
エピソード

だったわけです。

 

なんでしょうね?

「パーティに
テーブルいっぱいの
とれたてウニを持ってきた。」

とか、それくらいの
インパクトある感じ
なのかもしれません。

 

当時のニワトリは
食用ではない闘鶏目的での
飼育が多く、
数も少なかったですし、

まだ品種改良もされて
いませんから

ツバメなど他の鳥とおなじで
たまごは春の時期に
少し産むだけの
超貴重品
でした。

 

そして、
外居っていうと

こんなカンジのやつで

これにたまごどっさりって
けっこうな量ですから
かなりのインパクトですよね。

 

「定番おみやげじゃない、
しかも季節の食材だし
アイデアがスゴイよね!」

みたいな
受け取られ方だったのでしょう。
きっと。

 

やりますね!奥さん。

 


◆公式記録から800年間消えた「卵」

そして

じつは、
この記録以外に
江戸時代直前まで

「卵を宴席で食べた」
エピソードは
日本の歴史文献には
ありません。

ほぼ唯一の
グルメ記録なんです。

 

『卵を食べて罰が当たった』
なんて説話ならあるんですが・・・。

(関連:たまご・にわとりのちょっと怖い伝説 | たまごのソムリエ面白コラム

 

仏教が入ってきて
『殺生はいかんよ』
という文化が広がった時期でして

このころから
卵を食べるのは
殺生にあたる
『罰当たりな事』

という世の雰囲気に
なっちゃうのです。

 

以降
江戸時代の直前まで
公式記録上「たまご」は
食の文化から消えて
しまうことに・・・。

 

古今和歌集に
『卵の食事』話が出てきますが、
これは日本じゃなくて
「中国皇帝がたまご料理を食べた」
みたいな海外エピソードだけ。

 

ですので、
平安時代以前にも
ちゃんと
『たまご料理を楽しんでたよ』
ということを教えてくれる

とてもとても貴重な記録
というわけです。


 

ちなみに惟成さん
のちに出世して
この奥さんを捨てたことで
ひどい目にあうエピソードがあります。

こんなに助けてもらったのに・・!

 

ここまでお読みくださって
ありがとうございます。

(参照:古事談 第二巻)

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学 2024年03月7日

こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。

 

本日は縁起のおはなし

風水

にまつわる話を。

 

古来中国では、

大地には“気脈”があり
その上に建物を建てたり
育ち食べた物や
置くものによって

そこに住む人たちに
すごい影響をおよぼすのだ。

 

風水とは
そんな考え方ですね。

統計学的な要素もあって
「なんだか難しそうだな。」

とも感じますが、
じつは!
ちょっとカワイイ考え方も
あります。

 

たとえば

動物の見立て

を使った風水。

 

こんなお話があります。


浙江省寧波市にあった
報恩寺という寺

ちょっと変わっていまして、

『メンドリのカタチ』

をしていました。

そして、
少し離れたところに
ある王家橋という村。

その村が、

『ひよこのカタチ』

をしていたのです。

すると、

ひよこがみんな
報恩寺に行ってしまう・・・。
つまり、その村に
子ができなかったのです。

これを見抜いた者が
その寺を壊し
牧場にしたとたん・・・

子供が生まれるようになって
村が栄えたそうな。

めでたしめでたし。


というお話し。

 

風水的に
影響度のたかい土地を
『風水宝地』というんだ
そうですが、

 

ニワトリ型の
お寺を建てることが
村の風水に
攻撃をしかけることになる
このエピソード、

動物にみたてられた
風水宝地が
対抗物によって封じられ
その封印を解く

という
なかなかロマンあふれる
お話しともいえます。

 

我が四国には
香川県に
小豆島というステキな島が
ありますが、

これがウシの形をしています。

対岸の高松あたりに
草のカタチをした
おもしろい建物をつくって
さっきの物語とぎゃくに
風水的に活性化!

みたいなことになったら
すごく面白そうですね。

 

◆たまごの風水

そして、たまごは
風水的なメリットがあります。

 

毎年1月後半から
2月初旬までの
大寒の候

この時期のたまごを
食べると、
金運が上がる

と言われます。

それは、
寒さに快適な鶏が
たっぷりと餌を食べ
もっとも滋養に富んだ
卵を産むこと、

それを食べると元気が増す
ことから来ています。

 

いやホント!
この時期のたまごは
質がサイコーなんですよ。

 

『風水は環境学でかつ統計学だ。』
と言われますが、

たしかに
『大寒時期のたまごで
元気になって金運が上がる』
とは、

たまご屋として
すごく納得できます。

 

なので、

上記のようなPOPを
お客様のお店にも
お持ちしたりもしております。

 

今日から
ちょうど一月後です。

ぜひ、元気の出る
超美味しいたまご料理を
楽しめる時期、
あなたのお店のメニューでも
お客様にワクワクの価値を
お届けしてみてくださいませ~。

ここまでお読みくださって
ありがとうございます。

(関連:大寒の候たまごは金運が上がる!メニュー活用も | たまごのソムリエ面白コラム

(参照:中国大陸における風水破壊譚の所類型 斧原孝守 比較民族研究)

カテゴリー | ソムリエ日記 , たまごの歴史・文学・文化学 2023年12月21日