最古の「楽しんで卵を食べた記録」【古事談】
たまごの歴史
日本は世界でも
ちょっと変わった
流れがあるのです。
こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。
NHK大河ドラマ「光る君へ」で
平安時代に脚光があたってますね。
主人公紫式部のライバル役
清少納言の武闘派エピソードも
載っている
『古事談』
という書物をごぞんじでしょうか?
「古事記ならわかるけど
しらんなぁ?」
そんな方が
多いかと思います。
現代ではあまり
知る人は多くいません。
1200年代初頭に
源顕房さんという方が編纂した
鎌倉初期の
天皇貴族僧侶の珍エピソードを
まとめた書籍でして、
全六巻。
じつは、
たまご屋にとっては
大事な意味を持つ本です。
それは、日本で
たのしんで
たまご料理を食べた
最古の記録が載っている
本だから。
古事談によると・・・
藤原惟成さんという
貴族がいました。
若いころ貧しい暮らしを
していたのですが、
あるとき花見の宴に
呼ばれます。
「宴に見合う
立派なお土産なんてない!
こまったな・・・。」
しかし!
惟成さんの奥さんは
とても秀でた才知を
持っていまして、
「これをご用意しました。
お持ちくださいませ。」
・・・と
準備したのが、
立派な長櫃にご飯と
一折のゆでたまご
そして塩
だったのです。
宴に来た者たちは
その豪快さに
歓声をあげておどろいたそうな。
・・・というエピソード。
古事談では
『花見の宴のおりに長櫃にご飯、
外居(ほかい)に「鶏子一折」
折櫃に塩一杯を持参した』
“而長櫃ニ飯二、外居鶏子一折、折櫃擣塩一杯納之”
となってまして、
この鶏子(とりこ)というのが
たまごのことですね。
卵を入れた
外居(ほかい)は
食べ物を運ぶ入れ物。
塩を一緒に
持っていってますから
「ゆでたまごだっただろう」
と推測されています。
わざわざ記録するくらい
ですから
ちょっとすごい
エピソード
だったわけです。
なんでしょうね?
「パーティに
テーブルいっぱいの
とれたてウニを持ってきた。」
とか、それくらいの
インパクトある感じ
なのかもしれません。
当時のニワトリは
食用ではない闘鶏目的での
飼育が多く、
数も少なかったですし、
まだ品種改良もされて
いませんから
ツバメなど他の鳥とおなじで
たまごは春の時期に
少し産むだけの
超貴重品でした。
そして、
外居っていうと
こんなカンジのやつで
これにたまごどっさりって
けっこうな量ですから
かなりのインパクトですよね。
「定番おみやげじゃない、
しかも季節の食材だし
アイデアがスゴイよね!」
みたいな
受け取られ方だったのでしょう。
きっと。
やりますね!奥さん。
◆公式記録から800年間消えた「卵」
そして
じつは、
この記録以外に
江戸時代直前まで
「卵を宴席で食べた」
エピソードは
日本の歴史文献には
ありません。
ほぼ唯一の
グルメ記録なんです。
『卵を食べて罰が当たった』
なんて説話ならあるんですが・・・。
(関連:たまご・にわとりのちょっと怖い伝説 | たまごのソムリエ面白コラム)
仏教が入ってきて
『殺生はいかんよ』
という文化が広がった時期でして
このころから
卵を食べるのは
殺生にあたる
『罰当たりな事』
という世の雰囲気に
なっちゃうのです。
以降
江戸時代の直前まで
公式記録上「たまご」は
食の文化から消えて
しまうことに・・・。
古今和歌集に
『卵の食事』話が出てきますが、
これは日本じゃなくて
「中国皇帝がたまご料理を食べた」
みたいな海外エピソードだけ。
ですので、
平安時代以前にも
ちゃんと
『たまご料理を楽しんでたよ』
ということを教えてくれる
とてもとても貴重な記録
というわけです。
ちなみに惟成さん
のちに出世して
この奥さんを捨てたことで
ひどい目にあうエピソードがあります。
こんなに助けてもらったのに・・!
ここまでお読みくださって
ありがとうございます。
(参照:古事談 第二巻)