聖書にはなぜか猿も鶏卵も出てこない
こんにちは!たまごのソムリエ・こばやしです。
年初恒例の、干支と卵についてのコラム第二弾です。
聖書を読むと、面白いことに「猿」は出てこないんですね。
たとえば旧約聖書の有名エピソード『ノアの方舟』に猿は乗っていません。 ゾウからキリンからあらゆる鳥獣が乗せられているにもかかわらず、おサルの記述は無いんですねー。 数々の聖書絵画にも、もちろん出てきません。
まあ、おサルさんが生息しているのは中南アフリカ・アジア・中南米で、聖書が普及した中近東・ヨーロッパには生息していなかったことも理由だとは思いますが、それにしてもライオンやゾウだって描写されているわけですから不自然といえば不自然な気がします。 もしかすると「ヒトに近い種」であるだけに、逆に良いイメージが無かったのかもしれません。
そして、鶏卵。
意外なことに、これもほぼ記述が無いんですね。
面白いことに、ニワトリさんの方は、たびたびに渡って旧約聖書・新約聖書両方に登場するんですね。
一番有名なものは、一番弟子ペテロにキリストが『今夜鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう。』と伝えるエピソード。
新約聖書中最も有名なエピソードですが、
鶏さんの声が“夜明けの象徴”となっていまして、
人々の生活の中に、鶏さんが文化として広く根付いていることが良くわかります。
なのに、卵となるとコレがまったく別でして、聖書中の『卵』の記述を調べてみても、
旧約聖書ヨブ記・39章 → ダチョウの卵
旧約聖書エレミヤ書・17章 → シャコの卵
旧約聖書イザヤ書・34章 → ふくろうの卵
新約聖書ルカによる福音書・11章 → サソリの卵
・・・・・・といった風に、他のタマゴばっかりなんですね。
シャコまであるのに・・・・・・^^;
聖書上じゃなく実社会では、
卵とキリスト教はとっても深いつながりがあります。 キリスト復活を祝うイースターの行事は卵が主役のお祭りですし、キリスト教での「生命と復活の象徴として卵を祀る」行事は、欧州中にあります。
ですが、こと聖書においては、鶏と違って『卵』はなぜかかなりマイナーな存在なんですねー。
うーん。
不思議です。
あくまで小林の考察ですが、
土着の信仰として「卵を神聖視」する風習は世界中にありますので、比較的新しい宗教としてそれらを駆逐していく立場にあったキリスト教(とその教会)は、区別の為にあえて卵の表現を避けた。
が、どっこい民間ではずっとその風習が残っていてふたたび卵=神性のイメージが、キリスト教文化に溶け込んでしまった。
なんて事があった・・・・・・のかもしれませんね。
ここまでお読みくださって、ありがとうございます。