こんにちは!
たまごのソムリエ・こばやしです。
ジブリ映画の「君たちはどう生きるか」
本日公開ですね!
ポスター一枚以外
まっったく情報を出さない。
こんなマーケティングもあるのだと
興行成績と内容に興味津々です。
宮崎駿さんが少し前に
「目玉焼きにはソース」
と回答して話題になったことがあります。
「目玉焼きは洋食だから。」
だそうで、これって非常におもしろいんですね。
そう、実は目玉焼きって
完全に「洋食」なんです。
日本では江戸時代に入り
玉子料理が大流行しましたが、
『目玉焼き』だけは
日本食として普及しなかったのですね。
(関連:なぜ江戸時代に目玉焼きは無かったのか | たまごのソムリエコラム)
そして、明治に入る直前。
こんなエピソードがあります。
◆ペリー提督と黒船の目玉焼き
江戸の末期のお話。
浦賀沖にペリー提督率いる
アメリカ海軍4隻の軍艦が来まして
江戸は大騒ぎになりました。
で、
浦賀奉行所が対応に当たりまして、
小舟を使い、伝馬船として
黒船との連絡に行き来を
させたんです。
その中の一隻に、
政七という15歳の少年が乗っていました。
黒船につきっきりで待機していたのですが
食事を用意してなかったので
とにかく腹が減ったわけですね。
それを見た黒船の船員さんたちが
食べ物をカゴに入れて、
ロープで吊り下げて差し入れして
くれたんです。
中を見ると、卵と
まるっこいせんべい?
みたいなふわふわで
油が塗られたものが入っている…
卵は茹でてあるけど
黄身だけ生で
たべられたものじゃない!
せんべいみたいなのは、
柔らかすぎて食感がヘン、
しかも油は胸が悪くなって
とても喰えたもんじゃない・・!
・・とどちらも捨ててしまいました。
不思議に思った船員さんが今度は
鉄板で焼いた卵
をおろしてくれたんです。
「たまごを割って焼く」なんて
初めてみる料理法・・・
一緒に謎の肉っぽい薄切りが
くっついていて、これまた
とても口に入れる気にはならない。
『こんなものを食わせて
異人は俺たちを殺す
つもりに違いない…!』
そう思って
これまた海に
捨ててしまったそう。
そうこうしていると、
船尾から野菜みたいな切れっぱしが
落ちてくるのに気づいて、皆で
そのしなびた野菜をむさぼり食った・・・。
次の日の朝になって、
黒船の船員さんが、上がってこい!と
手招きをしている。
怖いけれども、
腹が減って死にそうなので
誘われるまま甲板にあがったのです。
船の食堂に入ってみれば、
みたことない料理ばかりで、
唯一分かったのは卵料理、しかも
やっぱり焼いてあって黄身が生・・・
とどめに
真っ赤な飲み物を出されたので
「これは生き血にちがいない!」
とほうほうの体で逃げ出した・・・。
「生き血だと思ったのはワイン
ふわふわせんべいはパン
油はバターだったのですな。
今ではどれも、
うまいうまいと飲み食いしている。
時勢が変われば人も
変わるものでございますなぁ。」
・・・と、この政七さんが
71歳になった明治42年に
『横浜開港側面史』掲載時に
語ったとして記録が残っています。
◆時代で変わる料理の好み
卵屋としては相当興味深い
エピソードです。
目玉焼き&生食に対する
日本人の当時の感想が
とても貴重です。
結局のところ、
時代が変われば食の好みは
ガラッと変わります。
わずか30年前まで
好まれていた固ゆで玉子は、
細かな調節ができる器具や
コンロの普及により
半熟たまごに
取って代わられつつあります。
いま人気の煮玉子も、
低糖質食品の流行で今度は
味つけのしてないシンプルな
ゆでたまごに回帰するかもしれません。
飲食店さんは、トレンド把握が
ホント大変かと思います。
せめて「たまご」に関しては、
ごく詳細な未来をキャッチして
いちはやくお客様に
お届けしてまいりますね。
ここまでお読みくださって、
ありがとうございます。
(参照:横浜開港側面史・横浜貿易新報社、読むクスリ・文春文庫)